一部公開と、移転先「嗚呼梅里先生」について
雑多なことを書いていましたが、身辺の事情が変わり、新しく記事を書くことも無く、ブログを閉鎖していました。
この夏から(R6 20024)、以前二つほど記事を書いていた別の「はてなブログ」『嗚呼梅里先生』で書き始めました。
『待鸛荘から』は、「日本論」について公開することにしました。
「嗚呼梅里先生」では徳川光圀の墓碑にある『神儒仏老』から、臨床心理学を組み込んだ神儒仏老思想なるものを想定してます。
『待鸛荘から』で書いていたものは、その前段階なので新しいものが書ければ追々消していきます。
時々、「日本スゴい系」のYouTube動画で「日本は八大文明の一つで云々」と見聞きする。
私はハンチントンがどれだけの碩学なのか分からない。ハンチントンがどのような思想を基にしているのかも理解が及んでいない。リアリズムということしか知らない。
レヴィ=ストロースの「日本は唯一無二」もYouTubeによく出てくる。
自分の構造主義の知識については、wikiと新書の間ぐらいのところだろうか。
日本で構造主義を展開するする人の多くは「日本スゴい系」ではない。
借り物の知識で「日本はスゴい」と持ち上げるのはどうだろう??
かつて、中国に外国人旅行客が入り始めた頃、奥地の牧歌的な農村で、如何にも成り上がりの、英語で言うところのスノビズムの姿をテレビで目にした。中国だけではない。日本も北から南まで、注意してみれば、いくらでも見つかる。韓国もそうだ。
つまり、私たち東洋人は、西洋の理屈で、西洋人の言葉で、「スゴい」といわれて喜んでいないか。
そもそも、ハンチントンやレヴィ=ストロースだけが学者ではない。一流といわれる、或いは、名声の有る学者はいくらでもいる。
そう考えるだけでも、日本の立ち位置が、そう甘くはないことが分かる。
数の優位を生かして、国連の方から「日本ハ人権後進国」がやって来る。
他人を頼んで自分の国を守ることは出来ない。
日本の文化を語るとき、先ずは、神仏習合は必須だろう。しかし、儒教も有る。和歌も必要だし、漢籍も無視できない。
ただの羅列でも、一人ひとりの独自の「日本教」でも、私は解決にはならないと思う。
自分で自分を評価できる人は強い。プロスポーツを見れば、すぐ気づくことだ。
若い人々が強い脚力で大地に立つ。そういう思想が必要ではないか。