待鸛荘から

茨城県・県央、涸沼・千波湖・大塚池・那珂川、どこからでも、自然を待鸛/体感する場所を。県西の次は、鹿行から巣立ち、来年は県央も期待。(令和五年8月)

水戸黄門まつり 「雪の峠」と「ある町の高い煙突」

水戸黄門まつりが、今日と明日となった。(8月5日(土)6日(日))

水戸城の復元されて公開されたのが、2020年2月、同年の水戸黄門まつりはコロナ騒ぎで中止、今年は例年の祭に戻り、+αもあるようだ。
7月には新市民会館がオープンしている。

水戸城にまつわる話を残しておこうと思う。

水戸城は石垣が無い。場所が良くて、天然の要害といわれる。目立った建造物は無いが、ぐるっと回ってみれば、やはり歴史の舞台であったと実感が出来る。
水戸城や武将の入れ替わりは資料がある。
しかし、個人的には一つ知りたいことがあるが、何処をどう調べたものか。
奈良平安の時代は、国府は石岡に有った。国府は後に府中城(石岡城)となる。

水戸城の城としての始まりは平氏一門の大掾氏である。
この辺り、つまり、水戸市元石川町の西の端、「常磐の杜」の西の端、
それに面しているのが森戸町で、大掾氏の一族である「盛戸氏」に由来している。
森戸町の「おばけエノキ」の反対側、鹿島神社の辺りが館であった。

wikiの引用だけれど、
常陸国大掾であった平国香の子孫である馬場資幹により建久年間(1190年 - 1198年)に築かれたとされる。以後、大掾氏(馬場氏)の居城となった。」

wikiの佐竹氏
治承・寿永の乱においては、佐竹氏は平家にくみしたために源頼朝によって所領を没収された。後に頼朝に従って奥州合戦に加わったが、近年の研究では奥州合戦の直前まで佐竹氏の抵抗が続いていたと考えられている。」

奥州合戦(1189年)の後に大掾氏が築いたということは、江戸時代の御三家と譜代の配置に似ているか。江戸を守る備えに似ている。

水戸城は、武士の時代になって築かれて、江戸時代は常陸国の中心のようになる。
つまり、全国一律の地域行政では石岡が適地だが、軍事的な面を重視すれば水戸ということか。(関東の大河川である那珂川下流の沖積世など、物流や生産も含めて考える)
全くの思いつき仮説だが、

行政〈大〉+軍事〈小〉=石岡
行政〈小〉+軍事〈大〉=水戸

石岡に水戸ほどの好立地があれば、石岡に大きな城が出来て長く続いたかもしれない。

関八州は平地続きで、一度バラバラになると、統一的な勢力までに煮詰まりにくいのだろう。戦国時代は人気の時代で、北条氏の拡大や越後上杉氏の侵入もあって興味は引くが、室町時代の秩序の低さは特に関東で現れているから面倒さに関心が減る。

鎌倉幕府滅亡後の、関東分裂の山は、南北朝古河公方後北条氏、と3つの山が来て、続いて日本史区分としての戦国時代がイメージできる。

鎌倉・古河公方の前段階として、鎌倉公方の下での関東管領の対立が「上杉禅秀の乱」がある。これが、水戸城支配が、大掾氏→江戸氏の契機となる。城主大掾満幹が一族家臣を引き連れて、石岡の祭礼に出るために城を留守にした時に取られている。

水戸城支配の切り替わりは、山で言えば、大山→小山(ココ)→大山→大山、となるか。

江戸氏→佐竹氏。これは、江戸氏が豊臣秀吉の北条攻めに加わらなかったために水戸城を取り上げられ、佐竹氏に与えられたことによる。

水戸城は、天然の要害といわれるが、それを発揮したことがなかった。何とかの余波で、城主が代わっている。難攻不落振りの絵図を見られないのは、後生の者としては残念である。
また、佐竹氏でさえマイナー、大掾氏は漢字が読めない、江戸氏は大江戸と混乱の元、さらにオマケを付ければ、位置関係がはっきりしない北関東(3県)。

幕末の内紛は、もう旧式の城の時代でもないし、「斬られ役」ならぬ「壊され役」である。先の大戦の空襲も同じ。

そこで、「まつわる話」にもどる。
「雪の峠」という漫画がある。関ヶ原の合戦の後、佐竹氏が秋田に転封、色々あって、老中、川井忠遠が粛清される(川井事件)。川井は常陸が恋しくて泣きながら粛清される。

別資料では、佐竹氏は転封に際して、家臣を全て秋田に連れて行くことは出来ず、次男三男は置いていったという。

「個人的な補足」
帰農した(百姓になった)者たちは、水戸徳川家を、当然快く思っていない。
不安定な状況で、生瀬騒動が起きる。
水戸藩では、安定の為に、旧佐竹家臣たちを懐柔する。農民をよく導いてほしいと。
旧佐竹家臣は農民の為に名誉・責任感を持って仕事をする。
徳川光圀水戸黄門)は、佐竹氏が根を張った太田の地に隠居所、西山荘を建てた。
佐竹氏の旧臣を呼び集めて農民の事を頼んだという。
水戸藩の伝統は、水戸学もあるが、それによって支出が多く、農民も貧しかったため、藩主はせめてもの思いを託していた。例えば農人形である。

「ある町の高い煙突」(映画の方)
日立鉱山の煙害が起きる。若き農村のリーダー関根三郎(役名;実名は関右馬允)茨城銀杏(公孫樹)見立番付)は、先祖を想い、伝来の短刀を手にして解決を誓う。

「史実」
解決の後、関根は、未来に自然や歴史を伝え残す為に多くの写真を撮った。
写真家としても名が残った。「茨城県巨樹老木誌」は代表的なもの。水戸城の写真も。

「個人的な補足」
佐竹氏が一時だけ支配した水戸城
そこには自分の祖先も一時だけ参じたこともあっただろう。

「史実」
彼が撮った「三階櫓」の写真は、空襲で失われた水戸城の復元(2020年)の手本となった。
※ 銀杏坂の大銀杏

※ 「調べなければならないこと」
水戸空襲では銀杏坂の銀杏も焼けた。しかし、見事に復活している。
関右馬允は巨樹も水戸城も写真に残している。銀杏坂の大銀杏も撮ったであろうか。
亡くなったのは1973年だから、おそらく撮っているし、復活も見届けたはず。

「個人的な補足」
関右馬允、曰く「あの大銀杏も復活したんだ。水戸城もまた建つさ。茨城県は歴史も文化も自然もある・・・・」

補足
いずれかの周年行事で、講談や浪曲で取り上げられないかなー。
茨城ネタ浪曲のテーブル掛けは、「茨城県」で是非、と、何時もの提案です。
(崩し台形)