待鸛荘から

茨城県・県央、涸沼・千波湖・大塚池・那珂川、どこからでも、自然を待鸛/体感する場所を。県西の次は、鹿行から巣立ち、来年は県央も期待。(令和五年8月)

五常 仁義礼智信

心理検査の中で性格検査がある。精神的な健康とか社会適応とかも、それが目的ではないが、ある程度見当はつく(ものもある)。
安定した日本社会で上手く生活できているのなら、取りあえずOK(と考える)。

さらに、「迷惑さえかけていなければかまわない」を越えて道徳がある。
皆がよい社会で生活したいのだから、道徳は要請される。
では、「道徳とは何か」と聞いた時に、東アジア一帯には儒教がある。仏教は、様々に分かれているが、壁に向かってずっと座り込んでしまったりするので考えないことにする。
しかし、儒教で挙げられる道徳=徳目を実現する方法論にはなる。仏教は、「悟り」を求めるのだから上記の心理検査の方が近いともいえる。

儒教の基本徳目として、五常がある。江戸時代は儒教が強い時代で、この徳目はとても重要だった。

五常とは孟子の云う4つの徳、仁・義・礼・智(四端)に、漢代になって信を加えたものである。

五倫は、君臣の義,父子の親,夫婦の別,長幼の序,朋友の信をいう。
(これは、コトバンクからの引用だが、順番は1,2番が変わるものもある。)
(江戸時代初期の中江藤樹は、母の介護の為に藩を出ている)
「君臣の義」が国体思想に繋がっている。
(父子の親も含みながら・・・「天皇の赤子」とかいう言葉)

合わせて五倫五常という。水戸学では、国体思想入れ込んだ五倫となり、特に重要だった。

水戸学の研究者で水戸の出身の菊池謙二郎は、教育者で旧制二高の校長もし、水戸中学校(現在の水戸一高)の校長となり、第一次世界大戦とそれに続くロシアとドイツの革命の後、欧米を1年間にわたって視察し、戻ってきて、『国民道徳と個人道徳』という講演を行った。

菊池は、水戸学研究者と教育者という2つの顔があった。
これは、取りあえず矛盾しない。
しかし、水戸学は後に教育勅語に繋がり、生徒思いの菊池校長は大正自由教育のさなかに欧米に派遣され戻ってきたら試験廃止他の自主性を重んじた教育を行う。
ここに実は、大正自由教育と水戸学の交差がある。
上手くいけば、今頃、儒教の徳は普通に語られ、もっと落ち着いた社会になっていたかもしれない。

それはまた、先に菊池謙二郎の題で書いた記事との重複があるが、後で西園寺とともに書くことにする。

新渡戸稲造が2000年に書いた「武士道」は、武士の徳目を、儒教五常からも引いている。「義」が第一となる。

論語において特に重要で、五常の第一にもくるのは、「仁」である。
水戸学だからといって五常が「義仁・・・」となるわけではない。
孔子が、先ず、仁を説き、残りは孟子なのだから当然といえば当然である。
仁は、訳語として、私たちもよく知る「ヒューマニティ」とか「ヒューマニズム」は当てられていないが、解説に用いる人は多い。洋の東西を問わず人間主義人道主義)は皆が失ってはならない基礎である。本来の世界は、仁を土台において義を論ずるべきだろう。

「武士道」は米国大統領のルーズベルトも読み、日本を理解するのに役立ち、ポーツマスでの調停に繋がった。

新渡戸の「武士道」を、幕末から続く(明治になっても影響力のある)水戸学と、欧米で共有されるキリスト教道徳(新渡戸はキリスト教と)も合わせて論じることは出来ないのでごく簡単に、かつ自分流(我流)で解釈してみる。

1,国際社会・国際政治で、儒教キリスト教の架橋は出来た。

2,帝国主義に時代において東洋と西洋が向き合って戦争の解決を図った時に、東洋の側からは「義」を第一にした考え方があり参考にされた。
(「武士道」の徳目に五常全てが入っているわけではない)

こう見ると、「武士道」の時代は終わった、役割は果たした、そう見えるかもしれない。

見方は複数有ってもよいのではないか。私たちが学び続ける限り。

違った戦いは続く。資本主義が続く限り。「サムライ資本主義」は、まだ命脈があるのかもしれない。
新渡戸が国際連盟に在職していた時に、スウェーデンフィンランドの間に起きた領土問題を自治領とすることで解決した。その地の現在の総督が日本のテレビ番組の取材が入った時に、『私はこの本に書かれている日本の魂とか考え方が好きなんです』と「武士道」(フィンランド語)を手に取って紹介した。番組では、『武士道の究極の理想は平和である』という言葉も紹介された。

もう一つ、新渡戸がならした道を今一度、原典に歩いて戻ってもよいのではないか。
「そもそも」の「そもそも」だが、諸子百家まで戻れば、これは治世の学である。道教的にいえば、世が治まるならば徳目は要らない。私たちは歴史から多くを学び語用を深めた。

儒教のエッセンスに至って、現代にも普遍性は見いだせないのか。

例えば、日本の著名な影響力のある団体が「五常」を体現し、そこに著名な影響力のある外国人もいて同じ価値観を共有している、そんなイメージである。
山の中に、2,3人の立派な日本人と、2,3人の立派な外国人がいる、
それでは、普遍とはいえない。

事例として、日本のサッカーの発展について考えてみる。
オリンピック・Jリーグ・W杯
海外からの助力はとても大きかった。
デットマール・クラマージーコイビチャ・オシムの3人を取り上げる。
【仁】;3人とも、慈愛の人である。最も厳しかったクラマーも、夜、選手の為にかけた毛布を直して回ったという。
【義】;クラマーは、ドイツにはゲルマン魂がある。大和魂を見せろ。と、言った。
【礼】;ジーコは、始めて鹿島アントラーズに来た際には、電車で通ったという。地域の人が、ジーコのすごさをよく知らないで挨拶しても、おごった様子はなかった。周囲の人には丁寧に接していた。プロ意識の低い他の選手には食生活やロッカーの片付けを指導した。日本チームのロッカーの片付けはジーコの方が先である。どんなにスターになっても人柄が変わらないのは、ジーコがお手本である。
日本代表監督での失敗は、まあ仕方がないでしょう。
【智】;オシムのことは言うまでもない。
【信】;皆、何故、日本に来たのだろうか。
クラマーは、戦争中に、空挺隊にいた時に「日本人のように飛び降りろ」と言ったそうだ。
大和魂」を信じていたのだろう。日本で選手の毛布を直して回ったエピソードもかつての体験に由来するのかもしれない。
不幸な戦争体験でなく日本との関係では、クラマーの父が造園家で日本庭園の知識があった。日本人の職人気質などから良いイメージを持っていたことは想像できる。
日本サッカーの黎明期にドイツに指導者を求めに行った人物がクラマーに会った際のことだが、『挨拶は折り目正しく、表情には「生真面目さと日本に対する敬意」が溢れていた』(「日本サッカーの父」クラマーを連れてきた“知られざる丸腰の留学生”とは;文春オンラインから)
ジーコは、1981年トヨタ杯で初来日。欧州と米州で大会が荒れた為に、間を取って日本で引き受けた大会。ジーコにとってはよい思い出。
オシムは、東京オリンピックで来日したときの印象がよかった。オシムは「自分を信じろ」とも言った。
本来なら日本に来るはずのなかった人々が日本に来たのは、先人の誠実さ、努力のおかげである。

私は、サッカーに詳しそうな人が、「オシムだったら・・・」と、オシムを出しにして日本チームへの批判的な解説するのを見ると違和感がある。贅沢病ではないかと。
おそらく、オシムが来日するまでの経緯など、直接的にはサッカーの内容ではないところに目がいっているからだろう。

子どもが、成長する節目に優れた指導者に巡り会えたら、その人は幸運である。
サッカーの草創期、プロサッカーの草創期。
天才指導者に巡り会ったら幸せである。おそらくプロ棋士が、棋譜を記憶しているように
試合展開を記憶しているから、選手に対して的確な評価ができるのだろう。

この、五常仁義礼智信」の敷衍化は様々な活用が考えられる。

中国の春秋戦国時代に起源を持つ、東アジアでは既に広く知られている道徳、価値観である。
儒教は後に荀子朱子というビッグネームも現れるが、「孔孟の教え」という。孔子春秋時代孟子は戦国時代であり、いわゆる諸子百家に含まれる。中国思想の骨格で、孔子は「仁」を説き、孟子はこれに「義」を取り入れて「仁義」とし、「礼」と「智」を加えたが、孟子の後に「信」が追加され、他にも三徳とか八徳とかあるが、五常こそは中心柱で中国思想の最も骨格といえる。

また、原典に戻った方が使い勝手がいい。
それが、西洋社会や、さらにアフリカなどでも理解されれば、海外の選手が日本で活動する時にプラットフォーム的な役割をする。中国人が日本でサッカーや他のスポーツをするのでも同じ。
アフリカで野球を広めている団体がある。野球とともに、規律・尊敬・正義「Discipline,Respect,Justice」を学ぶ、としている。この活動は野球の特質を生かしている。それは日本でも実証されている。五常は、全てのスポーツに通ずるものになる。物語性があることは「仁義礼智信」の言葉のまま染み込んでいく可能性がある

現実には、〈プロ〉スポーツと「武士道」とでは解離がある。サッカーでは常に、市場価値ということを言う。五常の「義」の反対が「利」だとされる。中国では商売は道教の持ち分だったし、いまだに商道徳は整っていない。日本は既に、江戸時代に、石田梅岩(自らは儒者を名乗っていた)が神儒仏の三教合一とともに、商人・商業を肯定していた。渋沢栄一は明治時代に「論語と算盤」を著して、資本主義と儒教を一致させた。何度も中国に招かれて、その経営哲学がバイブルのようになっていた、平成の経営の神様、稲盛和夫は、仏教と儒教を基にした。「論語」がもとになっているとも言われる。

上杉鷹山は、伝国の辞の他に、孟子をもって次の藩主に心構えを伝えた。              

赤穂浪士の一人は孟子の子孫と伝わる。

偕楽園は「孟子」を引いて名付けられた。

東京オリンピックでも明確になった日本によるスポーツ支援、スポーツを通した人材育成支援で、スポーツごとにスローガンや徳目が掲げられている場合があるが、「五常」1つでも足りるのではないか。展開の幅が広い。

五常のうちの信は、「朋友の信」である。今ならば、選手とコーチのフラットな関係も、「信」がある。
日本のサッカーが強くなった理由、指導者に恵まれたことは、とても大きい。
戦績はどうあれ、信頼関係は盤石である。
(オフト、トルシエザッケローニについては分からない。戦術や戦う姿勢など、退任後も日本サッカーに影響を与えたり、アドバイスをしているわけではない)
ずっと影響を受け、アドバイスを受けてきた人を、五常として宣揚することは、恩返しでもあるし、この考え方を広めることにもなる。

「jin gi rei chi shin」(2音 1音 2音 1音 2音)は言いやすい。中国語なら、全て1音節だが、日本語の方は四声がない分、例えば、スポーツ支援(球技でも、武道でも)と一緒に持ち込んでも、覚えてもらいやすいだろう。(武道ならもっと語りやすい)

しかし、当然、期限となっている中国への敬意はあってしかるべきで、
例えば戦国時代の篆書体と江戸文字を前後に入れたTシャツを作って売った利益を、中国ではまだマイナーな野球の振興のために使うとか。

五常から拡大すれば、三徳も八徳もある。「八犬伝」やさまざまな江戸時代の文化を展開する切り口となる可能性がある。