待鸛荘から

茨城県・県央、涸沼・千波湖・大塚池・那珂川、どこからでも、自然を待鸛/体感する場所を。県西の次は、鹿行から巣立ち、来年は県央も期待。(令和五年8月)

大谷翔平と井上尚弥

大谷翔平井上尚弥(以下敬称略)、この二人は共通点があるのか。或いは、共通点はあるにしても、案外、大きな違いがあるのか。

当然、インターネットは見た。

しかし、自分で少し考えてからにした。

思いのほか、こんな話題を取り上げているのは少なかった。

何冊も本が出ているのだから、余計なお世話ともいわれそう。

井上の本が出ていて、一部「東洋経済」で公開されている。随分と親孝行な人だと思った。これは、やはり、自分の好きなことに集中できていて、それをさせてくれたのが父親だという感謝であって、一般的な親子関係に当てはめてはいけないのだろうなと感じた。

それにしても、好きで打ち込んでいるボクシングを35歳で引退と決めているというのは、やはり井上の特質に迫るものだろう。大橋ジムの大橋会長は、「こんな選手はいない」と言っている。
別の記事で、大橋会長は井上を、漫画だとも言っているが、これは一応、共通点。

井上と大谷は、自分の人生の中で活動期間を定位させている。
大局観があるといえる。

大谷は二刀流、井上は階級替えや減量で、自己管理能力の高さは非常に高い。厳しさに耐える力がある。

それから、好きでやっている。動機が、スポーツでのし上がってやるとか、いわゆるハングリー精神とかではない。
大谷は野球が大好きで、喜んでやっている。それは、時に無邪気な楽しい雰囲気を周囲に広げる。
井上は、スポーツの性質上、サイン会のようなことは無いので、いわゆるお茶目だとかの面は見られないが、面白い記事があった。
井上は試合の前は眠れないという。
「遠足の前の日に、楽しみで眠れない、というような感覚に近いです。」
とのことだ。

また、好きでやっているが、駄々っ子ではない。どちらも好青年だ。
どちらも、金銭面ではしっかりしている。
今回のフルトン戦で、1回目のダウンを奪ってロープに登ったのも、勝利を誇示したと言うよりは、見に来ているお客に応えているということなのだろう。
(この辺りは私がボクシングを知らず、理解不足かもしれない)

「日本はシンクレティズムで、生き方に柱がない」というような批判があるが、
別の記事でも書いたが、現代の最高位のアスリート達は多様な価値観や動機付けを上手く統合しているのではないだろうか。周りの大人が良かったので、そのように育ったともいえるが。

ここで気になったのが、大相撲のことである。
「モンゴル人力士はハングリー精神があって、日本の若者にはない」
いまだに、こんなことを言っているのだろうか?

力士になりたいが外国人枠の狭さで入門が閉ざされているというイスラエル人。
YouTubeのニュース動画から
「力士は体だけでなく心も強いことがわかり、自分にとって男らしさの象徴になりました。」

「相撲に一目ぼれ」力士目指すイスラエル
https://www.youtube.com/watch?v=HG9Am-MQOE8&t=277s

今度は、相撲も色々と考えてみたい。