待鸛荘から

茨城県・県央、涸沼・千波湖・大塚池・那珂川、どこからでも、自然を待鸛/体感する場所を。県西の次は、鹿行から巣立ち、来年は県央も期待。(令和五年8月)

天狗党 書生党 福沢諭吉

この7月に水戸市民会館が開館し、1週間ほどしてやってきた。
このところ、天狗党と書生党のことを考えていて、此処で一応書き上げておきたいと思った。

天狗党の刑場となり晒し首となった所は小学校の時からよく知っている所で、石碑が有ったのを覚えている。ある方からそれが移設されたのを知り、その経緯も少し知った。

今は何でも調べられるから関心を持つ人がwebで紹介することができる。

刑場はまた、別の知っている方が、晒し首の絵が入った(それがメインではない)地域紹介のパンフレットを作られていたので、時間の後先は、その発行の後しばらく有って移設となったのではないかと想像している。

天狗党と書生党の戦いは悲惨で、wikiの項を読んでも十分理解できる。
それを一番おどろおどろしく描いた作品は多分、山田風太郎『魔群の通過 天狗党叙事詩』だろう。舞台化されたので東京で観た。ポスターがスゴかった。

https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/13_akaikurayami/

中身も暗ーい、ポスターがしっくりくるものだった。

天狗党と書生党の戦いの後、水戸は人材が払底したというのはよくいわれる。
それでも、福沢諭吉が、水戸には言論で立つ人材がいるはずだと4人を時事新報に入れた。
さすがの見識だ。

時事新報史 第12回:水戸出身記者の入社  
https://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/jijisinpou/12.html

この4人について本を書いてくださったのが、水戸市の坂田暁風先生だ。
『郷土の偉人伝 福澤諭吉と水戸の門下生』
坂田先生の話を伺って強く感じたことは、4人全体として水戸との関わりが非常に薄いという事で、水戸については人材の払底というだけでなく、帰るところでもなくなった(怨念が片付いていない不安)という事だ。横山大観も帰ってこなかった。

思い出すのが、水戸芸術館の開館の時のことで、演劇部門総監督だった鈴木忠志さんが水戸と東京との距離感を語っていた。水戸は中央のカラーも地方のカラーも出せるという主旨だったと思う。
4人は、また大観は、「近いから」という安心感もあったのだろうか。

色々な可能性があるというのは、良いようで結構危険だ。大きな企業で資金が潤沢でもトップが迷走したら危うい。水戸は可能性はあるが、貧乏で、リーダーがダメだったという事だろうか。
後々、誰もリーダーがいなくなって、金の力が幅をきかすこともあっただろう。豊かな「可能性」は、そっちに使われてしまった。

別の見方として、朱子学の変成としての水戸学の危険性というか暴力性を挙げる向きもあるかもしれない。だが、しかし、
それを判別する人物は、もう存在していない。払底というのはそういうことだ。

だから、根本に残ったのは、ルサンチマンだったのだろう。
「本当なら『水薩長土肥』だったはずなのに」
今だって、そう言われたら、そうだよなと答えるかもしれない。

血盟団の出処となった護国寺は、常陽明治記念館(現幕末と明治の博物館)の付属施設だった。「日本各地で維新烈士の顕彰に尽力している」(wikiより)土佐藩田中光顕が、記念館を作った時に、胸に熱い物を感じた人は多かったと想像する。

護国寺のことは、別の項で、龍馬像とともに未来志向で書いた。

「TSM弁論会」などというものを考えてみた。
T天狗党+S書生党+F福沢諭吉である。若い人たちが(というか言いたいことがある全ての人に)、過去も知り、先人を偲び、議論を通して可能性を実現してほしい。
(新しい日本を作ってもらいたい。)

魁というなら、やってないことをやるべきだが、あっちこっちで皆が魁と言っている。
しかし、全く無いものをひねり出すという事ではない。明日にでも自動運転のバスを走らせ、市役所をロボットだけにしろということではない。

ルサンチマンは薄らと続いている。血盟団ルサンチマンだとして、その失敗の後に再度の挑戦をする時には、もう、国体もないし、儒教論語もきれいさっぱりなくなっていた。
そういうわけで、原子力事業は新しくて輝かしかったのだろうか。
茨城県民の歌から、『世紀をひらく原子の火』
21世紀は開けてしまった。次は何だろう。

以下は、
行政などに提案してきたことを幾つか並べてみる。

1,関八州ということ
九州は全体でイメージを盛り上げている。
中心は古河になる。利根川奥州街道が交わる。
三県境が話題だが、上方の芸人がネタにしているのを見ていると、掌の上で弄ばされているようでいい気がしない。
そもそも平野で繋がっている関東は西のヤマトに支配されていた。地域ごとに名前が付けられる時には既に帰化人が知恵を出していただろう。全国は大上中下国の4ランクで分けられ、後に上総国常陸国上野国の三ヶ国は、親王任国となるように別格である。

2,無頼あるいは無頼者
サムライとニンジャは有名だが、座頭市はどちらでもない。木枯らし紋次郎も、どちらで
もない。浪人は無頼だ。ヤクザの親分は無頼ではない。数を頼んでいるから。

3,「列県雄市」
水戸は、結果的に、雄藩でもなければ、また、列藩でもない。
薩長土肥とというのはレンジャー部隊の妙味だ。
水戸には大きな城がない、江戸にはある。
水戸には大名庭園はない、小石川にはある。
水戸には武家屋敷はないが、秋田にはある。
組む相手を尊重して提示できるメニューを作れるか。
分断状態は既得権益を生む。どこもかしこもイチゴの品種改良をしているのはどれほどの意味があるのだろう。

4,常陸風土記
常陸と上総はべったりと繋がっているから、一体で生み出せるものはないか。将門伝説と常陸風土記の説話や伝承を組み合わせられないか。

5,武家武門とか武道とか
大河ドラマはだんだん厚みがなくなって怪しくなってきた。ということは、逆に古いものの方が価値がありそうなものだが、電通にあったといわれる「戦略十訓」よろしく、NHKは、『捨てさせろ』とか『流行遅れにさせろ』のように新しい需要を作り出す。歴史学者もどれだけ旨味があるのか分からないが、「今、何故、家康なのか」といったことに、加担している。そういう全く作り出されたPR効果に、大河をお願いしますとばかり、おね願い行脚をする。

茨城県の話ではないが、「ぎふ信長まつり」のキムタクの織田信長が話題になっていたので、取り上げてみる。ハーレクインロマンスレベルの行列だけれど、ジャニーズ問題もあるし、あの手のものをずっと続けられるのだろうか
今年、北野武監督の「首」が公開される。織田信長役は加瀬亮だ。此を料理できないか。
加瀬亮は達者な人で、岐阜県では有名な熊谷守一を描いた『モリのいる場所』にも出ている。是非、トークショーをやってほしい。絶対に面白いはずだ。織田信長の色々な面、戦国時代への理解の広がり、映画論、興味は尽きない。
ちなみに、熊谷守一展は茨城県近代伊美術館でもやった。

茨城は、【北海道+武士】が基本だと考えている。上毛歌留多の様に、常総歌留多が可能だと思う。

武家の名門は 佐竹氏と常陸平氏伊勢平氏
武士の始まりは、平将門風と雲と虹と
武士の終わりは、「徳川慶喜
武士の前に、防人の歌(万葉集
武芸十八般は、水府流・関流砲術
武道は、柔道(筑波大学)・合気道・・・
武士関連の食事3つ  納豆・梅干し・軍人イモ(ほしいも;日露戦争で)
隠密は、間宮林蔵
武道の神様は、鹿島神宮
座頭市笠間市
日本武尊筑波山
甲斐の武田氏の館はひたちなか市
平重盛のお墓は城里の小松寺にある
源頼朝の佐竹攻めにはエピソードがある
最弱武将 小田氏治 神皇正統記
長塚節の土は七人の侍

武士の教養は連歌、此を筑波の道という
好文亭
◎教養に関するところは必要 戦いのイメージばかりにならない為にも

まだまだ、ある。続きは、「列県雄市」で広げられる。
皇居は徳川慶喜から
三名園から、後楽園、兼六園
佐竹本三十六歌仙

紙にしたら大変だが、タブレットで使うものなら印刷の手間はないので配布も容易だ。